なんとか成るログ!(narulog)

釣り・アウトドア、バイク・車、文具、玩具、ガジェット、読書も日記もごちゃ混ぜおもちゃ箱状態な趣味的雑記ブログ。

「何か書きたいけど書けない」だけど何か書きたいならそんな気持ちを書いたらいいよ。と背中を押してくれるステキな記事に出会った。

Facebookを見ていて、ふと流れてきた服部タカユキさんのnote

 

note.mu

ブログを書いていていつも思う。それほど詳しいわけでも無いし、これについてもっと好きな人がもっと上手に書いている記事があるから・・・自分が書く必要はないのでは無いか・・・って。

 

ブログを毎日更新していくのは自分の趣味みたいなものなんだけれども、何かについて書こうと思ったとき何となく気がひける思いをすることがあります。

 

 

だけど一応書いてみる。1日の記事としてアップしてみる。そんであとで読み返してみたときに「何だろう・・・中身うすいなー。これ書いた意味あったのかなー」なんて思うこともしばしば。

 

 

だけどそれを書いた理由がある。そう「書きたかった」から。

ブログは読まれなきゃ書いた意味は無いとある書籍でも書かれてたし、「そうだよな」とも思う。もちろん書いたものに対して読まれれば嬉しいし、それに反応があればもっと嬉しい。

 

 

だけど上のnoteを読んでブログをずっと書き続けているのは人のためではなく自分のためだったと再認識できた。自分が好きで書いているのだから、読まれなくたって別に構わない。もちろん読んでくれたら嬉しいのだけど、それよりまずは「何かを書きたい」からいつもこうしてパソコンに文字を打ち続けているんだなって思った。

 

 

 

「自分には書くべきようなことなんて何もないけど書きたいんです。って気持ちをそのまま書けばいいんじゃないか」とぼくは思うのです。

「書きたい」「書かなきゃ」でも「自分の中には書く価値のあることがない」と心が折れそうなときには。|服部タカユキ|noteより引用

 

 

 

ブログネタはあるのに書けないってことがチョイチョイあります。書けないんだけど、「何か書きたい」とはいつも思っています。

 

「自分には書くべきようなことなんて何もないけど書きたいんです。って気持ちをそのまま書けばいいんじゃないか」

というnoteの一文がすごく響いた。あまりにも響いたのでFacebookでシェアしちゃったくらい響いた。

 

 

そしてもう1つ

 

いつかできる日のために、いまがあります。

 「書きたい」「書かなきゃ」でも「自分の中には書く価値のあることがない」と心が折れそうなときには。|服部タカユキ|noteより引用

 

他の人のブログを見てると短期間に数万PVとか出しちゃって「何それすげー!」「何それこのヤロー!」「羨ましいんじゃ!ボケー」って思うことが多々あります。

 

 

もちろん運だけではなく実力でそうなった人もいるでしょうし、いまでこそ輝いている人も過去にものすごく努力を積み重ねてきたのかもしれません。

 

僕らが見ている「今」は、今という一瞬を見ているだけであって、そこに隠れた過去の積み重ねはほとんど見えません。だから自分もそういうものに憧れるならば、「いつかできる日」のために今をどう過ごすかが大切なんだと気づかされました。

 

 

 

今やり続けて無駄に思えるものであったとしてもいつかできる日を迎えるためのいまだと思えば背中を押されるどころか蹴り飛ばされるくらいの衝撃で目からウロコが(むしろ魚ごと)落ちる思いでした。